とても虚無


※自分用に書いたので読みづらいですがご容赦ください
 身バレしない程度にざっくりと自分語りです 
 明るい内容では無い


小学校高学年の時両親が離婚
その前後でも色々ありいつまでも気楽に遊んでらんねえなあと世の中の虚無を知る
妹がいる かわいい 寂しい思いをさせてすまない
ふたりとも父の方へ引き取られる おばあちゃんにとても世話になる日々が始まる

 

中学受験は成功したが第一印象で弾けることができずいじめの対象になる

しかし自分自身が小学生の時悪ふざけでクラスメイトに嫌なことをしていた分の罰が当たったんだろうなと受け入れる
ありがたくも数人の子たちが私を助けてくれる 神か?

なんやかんやあり私に対するいじめは落ち着く
いじめの主犯の子が昔いじめられており、
中学ではいじめられたくなかったからおとなしく見えた私をターゲットにすることにしたとのこと

お約束の流れとして、主犯の子がクラスメイトたちから仲間外れにされる
同じように私をいじめていた子たちは手のひらを返す

修学旅行等のグループ決めで主犯の子を誰も同じグループに入れたがらずいつまでも話し合いが終わらぬ虚無の時間
そんなんの繰り返しなので常に私と一緒になることにする
なんで同じグループになるの?嫌じゃないの?と言う子たちは絶対にその子を入れたがらないのにやたら私に聞いてくる虚無

いじめに対しての先生は正直あてにならない

たぶん中学終わりくらい?から母が失踪する まあ昔からすぐ行方不明になる人なんだけど


高校生になる

ぼちぼちやっていたときに失踪してた母から出産したと連絡あり
こんときすごい色々考えた なにせ産まれた子に罪はねえから この子が大きくなったときに
もし私がこの子の事を拒否してしまったら、母と縁が切れてしまったら、正月に親せきで集まったりするやつに
この子だけこれなくなる?みたいな
(離婚後も親せき付き合いは許可もらってたので/いとこが多いので集まるとたのしい/みんな私より年下でかわいい/なにせ全員抱っこしてるからな)

妹と共に、父方の人たちに内緒で母に会う日々が始まる
ちなみに弟 べらかわいい 私が産んだようなもんだなこれ
弟の父は私も知ってる人だった たぶん間男?みたいな感じの人 でもいい人

高校生活はたのしかった
こそこそ母と会うのを父に隠してるのはしんどかったけど
私は父方のひとたちとなかなか気が合わずというか、価値観がすれ違うことが多く悩んでたので
いやいい人たちなんだけど ほんと 私がうまくできないだけでな

たまに父に母に会いたいか?と聞かれるけど
内緒にしてるので特に興味が無いふりをするしかなく
まあどこまでばれてないかわかんないんだけどな
離婚前は興信所で居場所を突き止めたりとかしてたし

会うたびに弟でかくなる クゥ~~かわいい


大学生になる

なんやかんやあって友達が亡くなる
お葬式、すごく悲しかった その子のお母さんの取り乱しようが見ていられなかった
なんもできなかった自分にがっかりする

課題で家族について考えようみたいなやつが出る
ここで沼にはまる 今までのことを深く考えすぎてしまい 家族とは……?虚無……

悩みすぎてやばかったので総合病院付属の心療内科に行く
自分の気持ちをしたためた紙を持っていき見せると、やべーので専門のとこ行きなさいって紹介状をいただく
そっからしばらく病院行きながらバイト、大学も行ったり、行けなかったら家には帰れないので
ひたすら電車を乗り回したり 歩き回ったり しんどかったな 特に病院代

心療内科に行ってるとかは絶対父に言えなかったんだよな
割と強めの人で、世の中にはもっとしんどい人が~とか苦しんでる人が~とかを言う派の方なので

よく口論もしたし、高校生の頃は反抗期も重なって取っ組み合いもして私がぎっくり腰になった
やっぱサシでは勝てねえな

このままじゃ駄目だな、と思って心療内科に行ってて、今すごくしんどいって話を思い切ってしたとき、
すごい怒られたんだよな 俺のほうが鬱になるわ って まあ私こんなんだしな
妹の付き合ってる人を、父の働いてる会社に紹介することになってたんだけど、
私みたいな奴をうまく育てられなかったんやから、妹の彼氏を紹介するのも考えなおさないとあかんかもな、って怒鳴るんですよ
そんときハチャメチャショック受けたな 
なんか私がこんなんになると思わなかったから 見る目がどうとか言ってた マジかよ~~じゃないですか

おまえのせいで俺の人生めちゃくちゃや って言われたのも普通にショックやったな
まあ父も母も若いんでできちゃった婚のことかな?ってそんときは思ったんですが

大学 やめたくなかったんだけどやめることになる
お金出してもらってる身だったので休学は言えなかったな

 

バイトもやめてしばらくニートしながら通院
身内の人から離れたほうがいいから入院を勧められるもなかなかそうもいかず
お金もなかったのでずっと実家暮らし
朝起きれなかったらすげー怒鳴られるし ずっと落ち着けなかったな
衣食住があるだけでありがたい話なのですが

妹とは仲良いので、しかも妹はつよくビシバシ父やおばあちゃんにも言い返すのでよく口論してた
というか口論するのがコミュニケーションみたいな家系なんだよなおそらく
私はそれができず…… すまん……

いつまでも働かないのは駄目だったから、ショック療法を目指しバイトに応募
仕事を始めると父とおばあちゃんも機嫌よくなったのでほんとよかった
もうどうでもいいやって気で働いたな 忙しいところだったのであんまり余計な事考えないですんだし

なんか みんなカラオケとか飲み会とか行くの多いじゃないですか
お酒全然飲めないんですけど、そんな感じで楽しくやってみたらしんどくなくなるんじゃないかって思って
いままであんまりバイト関係の飯とかには行かなかったのですが試してみたりして
家帰ってもニコニコしてたらみんな喜ぶんですよね
すっかり明るくなったね!って
虚無

飲食のブラックだったので店長には絶対にうちに就職しては駄目だと強く言われ面白かったな
いや笑えないのですが
んでまあ店内でやばめの怪我をしたときにすぐ病院に行けずそのまま閉店まで働き夜中に泣く泣く病院行ったり
それとは別に内臓にきて入院してはじめて1週間絶食したり
そんなこんなでそこもやめました 2年くらい居たのかな

そっからまた違うとこでバイトはじめます
父から正社員になることを強くすすめられていたので、知り合いの会社をまずバイトから午前だけ、
午後から別のバイト、の流れです
もうこのころは病院にも行かなくなっていました 薬飲むと指が震えるのがこわかったんです

高校のころから単発短期のバイト以外は基本年単位で働いてたので、どこも人手不足だし正社員に誘っていただくことも多かったんですが、
私はもうなにをしても全然自信がもてなくて、仕事に手を抜く理由はなかったのでできる範囲では働いていたつもりですが、
社員となるとどうしても責任が増えるだろうし、ずっとこわかったんですよね

ありがたくも、仕事を教えてくれる人がすごい頭の良い人ばかりというか、何聞いてもなんでも教えてくれるような方々ばかりだったので、
覚えることに関しては苦労がほんとうになくて、その運は本当によかったなと思います。感謝

 

はやく実家をでなきゃ、でも家を出るには正社員にならなきゃ駄目だ、という父の言いつけを馬鹿正直に守り続け、
家を出たいがために知り合いの会社に就職し、無事一人暮らしを始め、そこでCAD図面をひたすら描いていたのですが、
仕事を教えてくれていた上司のひとりが、もうほんとうに仕事がめちゃくちゃできる人で、めちゃくちゃ色々教えてくれて
その点はほんとうに本気で感謝なのですが、

なにせずっと愚痴を言い続けているんですよ
私が知り合いのコネ入社と知りつつ、その知り合いを含め、全員の愚痴です
いやほんと仕事ができすぎる人で、やり方が一人だけ突出してしまっていたんだと思います
その人とほかの上司とで、仕事の仕上げのやり方を分けなくてはいけなかったり、事務員さんにはセクハラまがいの台詞も
吐いていたので、あまり相手にしないほうがいいと、教えてもらってはいたんですが

 

またこれを馬鹿正直に聞き続けてしまい、仕事を進めたいのに(席が隣だったので)愚痴だけで1時間過ぎてしまう等が増えていき
私がてきとうに躱すなり、言い返すなりすればよかったのですが、コネ入社だしこれくらい耐えないと駄目なのではと
勝手に我慢の体勢にはいり、また精神的にきてしまいました

しばらく休職、傷病手当をいただき生活していました。
社長と話したときに、その愚痴を言う上司が思ったより問題になっていたみたいで、休職に対し特に悪くは言われなかったのですが、
私自身がのこのこと会社にもどり働ける気持ちになれず、そのまま退職させてもらいました

働かないと生きていけないので、初めてのハローワークに行き、色々手続きをし、
そこの相談役の方がすごい良い人で、なんかほんと良い人で、見つけてくれた会社もすごいよいところで、
また正社員として働きはじめました
いやほんと、いままで働いたことないような会社の自由度で、給料も前より上がったし、みんな自分の機嫌をちゃんと自分でとれるような
やさしい……みたいな会社で ほんと大感謝で
心おだやかに働けるって浮かれすぎていたのかもしれない


転職して少し経った頃、母方の曾祖母が亡くなりました
こっそり母と会う日々は続いていたので、いくつか決めごとをしていたのですが、
その中のひとつが、母方の誰かのお葬式があったときに、久しぶりに再会した ということにするでした
曾祖母にはひらがなを教えてもらったり、あやとりとかお手玉とか折り紙とか、たくさん教えてもらった思い出があるので
めちゃくちゃ悲しかったのですが、長年父たちに内緒で母に会っていたという秘密を、もう気にしなくていいんだ、と
心が楽になった部分が大きくて、泣きながら安心するという精神がめちゃめちゃ急上昇急降下みたいな なんかそういうアレでした

 

お葬式などが終わり、ひと段落した帰り道で、母とふたりで歩いていたときに、
私には本当の父親がいる、と話されました
もともと私は母の連れ子で、2歳のときに今の父と結婚したらしいです
私の妹はちゃんと今の父との子なので、きょうだい3人とも父親が違うことになる
いやほんと今言う?みたいな

でも父方の人たちとずっと合わなかった違和感が、すっと解消されたんですよね
けっこうひどい言葉も言われたりしましたが、ほんとうの子どもじゃないとは言われなかったので
父方の人たちは、私にはずっと言うつもりは無いと決めていたそうですが
どっかではばれるのでは?養子縁組だし まだあまり調べてないのですが色々ばれかたがあるみたいで

おまえのせいで俺の人生めちゃくちゃや って正しくその通りだったんですよね
当時20と少しだった父が、母と、血のつながっていない子どもを受け入れる覚悟って物凄かったと思うんですよ
父の父は知り合いの家のお嬢さんと結婚してほしかったみたいだし 血を大切にする感じの方なので
よく私のこと受け入れてくれたな やばいな
ほんでまあ私のうまれかたも省略しますがなかなか特殊で、正直なんで産んだんだ?みたいな
産んだんだというかあのとき私が着床しちゃったからなあ~~~~!ああ~~~~ みたいな
なぜ わたし 着床した? 検索 ですよ

母から聞かされたときはとりあえず平気なふりしとかなきゃなんで笑って流したんですが、もうそれからずっと昔の覚えてることひたすら思い返して反省会ですよ
あのときのこれは…… こっちも…… そういえば…… あまりにも点と点が繋がりすぎることが多い
この流れでそうです、私はまた会社に行けなくなってしまいました
まったく集中できなくなってしまったんです
ほんと申し訳ない

母とこっそり会っていた秘密がなくなり、お葬式で久しぶりに会ったけど、特になにもなかったよ~
と終わるはずが、父方の人たちが私に黙っていると決めていた、血がつながっていない子どもだということを
私が知りそれを黙っていなくてはいけないことが 思ったよりしんどくて


こりゃ駄目だと近くの心療内科に行き、相談しました
私は過去のことを考えすぎているから、休職して少し落ち着くまで気持ちをやすませないといけない
先生はそう言ってくれますが、私、前の会社でも同じようなことをしているのに、また繰り返すのか、と思うと
ほんとうに自分に腹が立ち、怒っているのにでてくるのが涙ばっかりで、涙腺を引きちぎりたいです

なんか全然うまくいかないんです
情けねえ話で すいません

今の会社をその休職にするかしないかで悩んでいるところです
会社の方々は休職をすすめてくれています
死ぬと迷惑がかかると知っているので、それは最後の最後にとっておきます
まだまだ身内のアレそれがたくさんあるんだろうなと思うと もっと覚悟しておかないとずっとこんなことの繰り返しで
生きるのほんと難しいなとおもいました


文にすると少し気持ちを整理できました
身バレしない程度と言いつつ見る人が見たら気付くかもなこれ
もうなんでもいいんですけど

ひとつ死ぬほどうれしかったことは、弟が無事正月の母方の親せきの集まりにこれるようになったことです。ほんと嬉しくて号泣したよかったこれだけはほんとにうれしかった

 

読んでくださった方おられましたら、ありがとうございました。
失礼します。